インド式エステのお試しに行ってまいりました
インド式エステをお試しで体験してまいりました。初めてですわ、インド式。アーユルヴェーダですわねぇ、って、エステ自体にあまり行った事ないのですがね。本当はエステでのお試しって好きじゃないのです。施術後のセールスが苦手でねぇ~~。

まず最初にカウンセリング。といっても、自分で紙に書かれたいろいろな質問事項にチェックをいれたり、記入したり。それに、ここでは性格テストもさせられましたわ。これはエステでは初体験。アーユルヴェーダは体質的特徴、生理的特徴、気質的特徴を調べるんですね。それで、ヴァータ、ピッタ、カバのどの体質かを判断するようなんですが、結局私が何のタイプなのかは教えてもらってないですわ。自分で調べよ・・・。

その後、下着一枚になって体重と体脂肪の測定、そして採寸。お腹、太腿、二の腕を数箇所ずつ採寸です。が、なんか計り方が緩い。随分緩いなぁ~、これ施術後の採寸の時はピッチリきつめに計るんじゃないの???なんて思ったり。お腹の採寸の時などメジャーが背中の方で上にあがって斜めになってます。ん?と思いつつも注意はせず。施術後の採寸をみてみようと。それでお店の体質がわかるかなと。また、採寸は担当者の方がしてくれているので、自分は全然メジャーをみられない。家で事前に計ってくるべきだったーーーっ!

次にいよいよ施術です。インド式なのでアーユルヴェーダをもとに、アヴィヤンガとかいうマッサージをしてくれました。これ、リンパマッサージだわねぇ。セサミ・オイルで足の下から上へと老廃物を流すようにスリスリ、ゴシゴシ・・・。足の裏から首までの施術でした。
これは確かに効いてるかも。足の付け根とか腰の部分や腕の付け根が痛い、痛い。「セルライトのゴリゴリ感がわかりますか?」って言われたけど、私が施術をうけてゴリゴリ感じたのはやはり背中や肩の凝りの部分だけで脚、お腹、腕などのセルライトのゴリゴリはわからなかったなぁ。
余談ですが、アーユルヴェーダはゴマ油を使用すると聞いていたので、『ゴマ油の香ばしい香りでお腹すいたらどうしよう~~。自分自身が中華料理みたいになってたらどうしよう~~。』なんて、とぼけた事を考えておりましたが、そら、香りなんてないオイルでしたわ。あたりまえよねぇ。中華料理じゃないって言うのよね。あぁ~(/-\*) ハジュカチ…
そして、施術後は施術台の上でビニール、タオルなどにくるまって20分のサウナです。施術台が温かくなるものを使用していたので岩盤浴の効果があるんです。背中からポカポカポカポカ。私は汗っかきだから汗がダラダラでちゃいます。
20分後シャワーを浴びますが、セサミ・オイルがその後も体内に浸透して効果を発揮してくれるとかで石鹸で洗い流さないように言われましたので、首と手だけは石鹸を使用して他は水洗いだけ。
ふと、横向きで鏡でみるとお腹のポッコリが少しとれたような。うぉっ♪前を向いて・・・ん?なんか体が横に広がったような気が・・・、気のせいかなぁ???
また体重・体脂肪測定と採寸。体重は200gほど減り、体脂肪は1%くらい減ったらしい。採寸は、やはり施術前よりもピッチリ計られました。ん~ずるいぃぃいいい。下腹部は3.3cmのサイズダウンだって。服を着て・・・でも、スカートが緩くなった感覚がそんなになかった・・・。

その後はエステのセールスをうけておりました。チケット制で今はちょうどキャンペーン中なのでお値段がお安くなる!しかし、人数制限があるので今申し込まないとこのお値段での対応が無理という。。。苦手なんです、こういう販売方法。行かなきゃっていう使命感があってチケット制も苦手だし、今すぐ買わないと高くなるよ~って言われると胡散臭く感じちゃって。だって、元値が高すぎで、キャンペーン価格の方が適正価格に思われるし。。。正価90分27,000円でキャンペーン中だと14,850円に。そしてチケットは5回分からと・・・。とにかくマイペースで通いたいので、その日の購入はお断り。

翌日の朝、なんとなくお腹周りがすっきりしているような気がするような。オイルのおかげでお肌はつるつる。ん、リンパマッサージを1回ずつ、マッサージ屋さんで通うようにしてみるかな。それかチケット制じゃないアーユルヴェーダを探しますかね。
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# by pocoli | 2006-07-19 15:04 | おでかけ
意外だったパーソナルカラー
a0025910_0474783.jpgここ最近は何もかもが面倒で、前にも増して部屋はちらかりっぱなしだし、身なりのことにもとんと気を使わなくなってきてしまったので、ここらでちょっと意識的に自分を改善せねば危険だと感じ、『すとっぷ・ざ・ぐぅ~たら!』という自分へのキャンペーンをちょっと計画。その一環としてパーソナルカラーをば受けてまいりました。数年前から興味があったのだけど、やっと実行できたわけです。年々太って服もサイズが合わなくなってきて、洋服を買わなければならないので、その参考にもなればと。

パーソナルカラーは春・夏・秋・冬の4種類に区分されるそうです。自分の肌がどれに属するのかを調べるってことですね。自然光の元で色を見たほうがいいというので、なるべくお昼頃がいいようですよ。
まず、左右の腕の内側に3色ずつファンデーションが塗られました。計6色。それで私の肌の色みをみているようです。
ファンデーションを乾かしている間に自分の色の好みやクローゼットにある服の色、人に色などでどういわれるか等の質問をうけます。
次に数種類の色をみせられて、好みの色を応えます。私はすべて見事に『夏』の色を選んじゃいました。淡いパステルカラーばかり。夏だから涼しげな色がよかったのかもなぁ。秋・冬だったらくすんだ色を選んだかも。。。
その後は鏡の前で上半身に赤の布(紙)をあてていきます。この赤も鮮やかな赤、くすんだ赤というふうに4種類あります。他に、黄色、緑、ピンク、オレンジ、青、紫なども4種類ずつ用意されていまして、これをあてることで、顔の色の変化をみてるんです。
びっくりしたことに、私は一番敬遠していた原色系の鮮やかな色が一番色も白く、顔もひきしまってみえるんですよ。なんか、顔の筋肉が上がったように見える!他の色だと、肌の色がくすんだり、青くみえたり。白にしても、青みがかった白よりもオフホワイトの方が顔に赤みがさすんです。もっと黄が多くなって淡いクリームになると更に顔が赤く見えたり。不思議でした。パーソナルカラーは私は『春』とのこと。
その後は気質を調べます。気質にも春・夏・秋・冬とわけられるんですって。簡単な質問が書かれた紙に該当するものにチェックを入れます。私の気質は『夏』でした。だから夏の色ばっかり選んだのかもしれませんね。
その後、私にあった色のメイクもほどこしてくださいました。私が今までつかっていた口紅はまったく逆の色だって。「ふけて見えてましたよ。損してましたねー。」って。自分にはつけられないと思っていたベージュ形の口紅が使えることも知り、良かったですわ。
その後アドバイスを頂くと、ターコイズやガーベラレッドなど綺麗な色を着るようにとのこと。黒はやめてくださいって。思わず「え゙っ!」て横に置いてあるバッグをみちゃいました。思いっきり黒です。だいたい、その日のいでたちはトップスは黒のカットソーにオフホワイトのキュロット。黒のバッグ、ベルト、ミュールだったんですよ。オフホワイトのキュロットはOKだけど、他はNGだったわけで(汗) 黒みの多い色はだめらしい・・・。この間買った服も黒なのにな・・・(涙)
約3時間の診断を受け、その足でデパートへ。自分にあった色の口紅とアイシャドーを購入しましたわよ。出費だわ~~。持っていたファンデーションの色はOKだったのでセーフ(ホッ)
まぁ、色が褪せるかサイズがあわなくなるまでは自分の色じゃない手持ちの服も着続けますが、購入するのはカラーファン持参してでも自分をイキイキとみせてくれる色にいたしますです。
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# by pocoli | 2006-07-11 10:52 | おでかけ
「ルオーとローランサン展」へ
音楽/1441
a0025910_1037248.jpg松下電工汐留ミュージアムで開催されているルオーとローランサン展に行ってまいりました。今年はマリー・ローランサンの没後50年ということで、それでこの展覧会の企画があったよです。
マリー・ローランサンの絵を、ローランサンの人生と照らし合わせて見てみたいと思っていたので、ちょうど良かったんです。昨年7/26に「絵のなかのふたり」にも書いたのですが、ブリジストン美術館でローランサンの絵を見て、そこに書かれていた説明を読んで、ローランサンの生涯にものすごく興味を持ったのです。
男鹿・表紙1924
a0025910_1518759.jpgマリー・ローランサン(1883-1956)の生涯をちょっとご紹介。
1883年に母・ポリーヌは未婚でマリーを出産。父はソム県ペロンヌの代議士だが認知されていない。1904年、画塾アカデミー・アンベールに入り本格的に絵画の勉強をし、そこでジョルジュ・ブラックと出会う。1906年、ブラックの紹介でモンマルトルの集合アトリエ「洗濯船」の常連となり「洗濯船のミューズ(女神)」と言われるようになり、男性たちをとりこにする。ピカソやマチス、ルソー、マックス・ヤコブらと出会う。最初の恋人、小説家アンリー・ホエール・ロシェはマリーの絵を画商に売り込み、うれなければ自分が購入していた。1907年、ピカソの紹介で詩人ギョーム・アポリネールと恋に落ちる。アポリエールはマリーに詩的霊感を与え、また多くの人を紹介し画壇のプリンセスへと押し上げていった。アポリネールは自身は浮気をくりかえすものの、マリーの自由は認めず束縛し、2人の間に亀裂が生じる。アポリネールがルーブル美術館で起きた「モナ・リザ」盗難事件の共犯容疑で逮捕される。疑いは晴れたが、その後アポリネールがますますマリーを束縛し1912年にアポリネールと別れる。1913年、母・ポリーヌ死去。アポリネールとの亀裂、母の死と孤独にさいなまれている中、ドイツ名門貴族で画家のオットー・クリスティアン・フォン・ヴェッチェンと出会う。1914年、ヴェッチェンと結婚したが、第一次世界大戦勃発。スペインへ亡命。その後5年間はスペイン政府にスパイ容疑をかけられ監視下におかれながらの亡命生活。夫はは粗野で数多くの愛人をつくり家を空けることが多い。結婚生活は実質三ヶ月ほど。マリーは次第に神経が衰弱していく。ピカソが相手かまわず「スペインに行ってから才能が衰えた」と吹聴しているというのを耳にし、マリーは一層傷つく。パリに住む人気デザイナー・ポール・ポワレの妹・ニコル・グレーが失意の慰めであった。この交流がマリーに同性愛を目覚めさせた。ニコルがパリに戻ると前より増して孤独感にさいなまれ、寂しさを紛らわせる為に愛人達とつかの間の恋をする。かつての恋人、フランス将校として戦地にいるアポリネールのことも頭からはなれずにいた。そんな中、アポリネールの結婚を知り、衝撃を受ける。アポリネールは生涯独身であると勝手に思い込んでいたのである。そして、アポリネールが戦地で負傷し危篤の知らせ。酒に溺れ働かず財産を食い潰す夫、マリーは絵を売って生活費にあてるが、経済的に行き詰っていく。ニコルも戦争から夫が戻ると子供をもうけ、マリーを拒むようになる。パリに戻りたいという想いが高まり、1921年フランス永住許可を得てパリへ。個展を成功させ再び画壇に返り咲く。1922年ヴェッチェンと離婚。1923年に肖像画を描き始める。作品も憂いがなくなり華やかさを増し、マリーに肖像画をかいてもらうことが社交界での流行となる。ジャンコクトー台本の「牡鹿」舞台装置と衣装をも担当。また、画壇の中心として華やいだ時間が過ぎる。しかし、次第にマリーの絵も時代遅れとみなされる時がきて、忘れ去られるようになってくる。老いから女の魅力も失われてくる。家政婦でかつ愛人であった21歳年下のシュザンヌ・モローは嫉妬心からマリーを束縛。友人や他の愛人をマリーから遠ざけさせた。捨てられることを恐れたマリーは言われるまま。1954年には彼女を養女にむかえる。そして、1956年、72歳の時に心臓発作で死去。寂しい最後であった。

ローランサンの人生と絵画を照らしあわせてみると、心のうちが少し見えてくる気がしました。

ローランサンとルオー
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# by pocoli | 2006-07-01 17:23 | 美術展など