気ままにミーハー
2007-05-11T14:25:27+09:00
pocoli
気ままにやらせていただいております。
Excite Blog
ベリーダンス体験レッスンしてきましたっ!
http://pocoli.exblog.jp/5567633/
2007-05-11T14:10:00+09:00
2007-05-11T14:25:27+09:00
2007-05-11T14:10:11+09:00
pocoli
おでかけ
体験レッスンをうけて、普段まったく運動していない私ですから、1つ1つの動きであっちこっちが痛くなって、結構きてました。大体、腕をあげてられないんですから困ったものです。
ダンス系のお教室って、やはりダンスの上達を目的にしている人が多いのでしょうか。そういう方は元々バレエ経験者とかなんですよね、きっと。私は体験レッスンをうけたのですが、初級の方々と一緒にレッスンうけるですね。しかし、その初級の方々は体が柔らかいこと。私のようなダイエットになるかなぁ~とか、ジムがわりにぃ~なんていう人と素地が違うようで・・・。心構えももちろん違いますが・・・アハハッ(汗 最初のストレッチの段階で、この方々に私はとうていついていけない・・・、と早くも挫折しておりました。
ダンスのレッスンが始まって、まず腰に手をあてて腰をフリフリしておりましたが、これ、ふくらはぎやら太ももに結構ききます。次に腕を水平にあげたまま腰をフリフリしてますと、今度は肩・二の腕がつらくなってきまして、根性なしの私は一人腕をダラーッとたらしておりました。次に肩を前後にフリフリ。気をゆるめると肩が左右に動いちゃっててわけわかんなくなっちゃいます。肩はつらいし・・・これって、肩凝り解消になりますかね?なるなら、毎日肩振ってたいですが。
次にアンジュレーションなる胸からお腹へとクネクネ動かす動作を学びましたが、これも頭で、「えっ~今みぞおちをへこましたから次は胃のあたりをへこまして、次にお腹あたりを・・・」なんて考えながらやってるものですから上目遣いになって大変。今度はリバースというお腹から胸へのアンジュレーションとは逆の動き。アンジュレーション→リバースを連動して、それも早い動きを要求されて大変、大変。考えてるから上目遣いになっているだろうし、こんがらがってきて眉間にシワはよるし、妙な人になってました。その次はシミーっていう足を細かく振動させて、体全体振動させるっていう動き。いやぁ~、太もも鍛えられますわ。膝の動きで振動させますけど、長く続けてられない。膝が動かなくなってくるんですよね。これらの動きと手の動きをつけて振り付けになると、私はあきらかに盆踊り状態。人と違う動きになっている自分が情けなかったけど、楽しかったんです、これがっ。ちょっと体験レッスンいろいろうけてみようかなぁと、検索中でございます。]]>
2006年9月 トルコ旅行 7日目 帰国
http://pocoli.exblog.jp/5447431/
2007-04-19T02:41:00+09:00
2007-04-21T01:57:39+09:00
2007-04-19T02:41:21+09:00
pocoli
旅のおもひで
イスタンブールの空港で撮影したウズベキスタン航空の飛行機。帰りはイスタンブール→タシケント(ウズベキスタン)→成田のルート。今回、タシケントでとってもスムーズに着陸。急ブレーキじゃないのです。すると機内で拍手がおこりました。拍手がおきた飛行機ってアエロフロート以来だわよ。やっぱり滑走路が短いわけじゃなかったらしぃ。成田着陸時はパイロットが変わったんでしょうね。急ブレーキでしたよ(汗) 今後、できたら乗りたくない飛行機だわ・・・。トルコ料理を少々ご紹介。肉料理で有名なのはケバブ料理。シシケバブ(シシカバブー)やドネルケバブを食べてまいりました。本来は羊のお肉なんですが、日本人なので特別に牛にしてくれていたので食べやすかったわ。ドネル・ケバブの方がお肉を薄切りにするから私は好き♡ケバブと並んで代表的な肉料理にキョフテがあります。↑この画像はウズガラ・キョフテ。トルコ風のハンバーグとでもいいましょうか。そしてこちら→の画像左上にあるカレーパンみたいな形の料理がイチリ・キョフテ。ハンバーグを揚げてあるようなもの。これも癖がなくておいしかったわ。
その他はトルコ風ピザがおいしかった。
でも総体的に言ってトルコ料理は私の口に合いませんです(汗)ではお土産をちょこっとご紹介。
チャイの茶器。フェリーで飲んだチャイと同じ茶器も売ってたし、トランプ柄とかかわいらしいのもありました。かなり悩んだ末、私は飽きずに使い続けられる茶器を選んじゃいました。シンプルで大人向けでしょう。買わないつもりでいたのに何故だか買ってしまったトルコ絨毯。はうぅぅぅぅぅううう(涙)まっ、記念、記念。これと同じ大きさだけど、素敵なのあったんですけどねぇ、お値段が3万円ほど高くなるので断念・・・。こちらは現在、花瓶敷きにして玄関に飾られております。トルコの魔よけ、ナザーレボンジュー。でも、未だ使い道が決まりません。カラフルなナザーレボンジューのブレスレットとかにしておけばよかったかなぁ・・・。ただ、ブレスはガラスじゃなくて持つと軽かったから辞めちゃったんですよね。他には特産品で栗もあるので、マロングラッセやオリーブ石鹸なんぞを購入。
あっ、パシュミナのストールを1,000円で買ってきた。サマーパシュミナだわね。お得感がございます。]]>
2006年9月 トルコ旅行 6日目 イスタンブール②
http://pocoli.exblog.jp/5447422/
2007-04-19T02:20:00+09:00
2007-04-21T01:59:37+09:00
2007-04-19T02:36:34+09:00
pocoli
旅のおもひで
ここガラタ橋は魚釣りをする人がたくさんおります。おもしろい。ブルー・モスクの西側に広がる広場ヒポドゥローム。ここはローマ時代の競馬場跡なんです。だから縦長の広場。この広場には3本のオベリスクがあります。←この画像はコンスタンチノープルのオベリスク。コンスタンチヌス7世が940年に建造した32mのオベリスク。当時は青銅で覆われていたらしいのですが、第4次十字軍によってはがされてしまったとか。
左手前に写っているのが蛇のオベリスク。ギリシア軍がペルシア軍に勝ったのを記念して、紀元前479年にデルフィのアポロン神殿に建てられたものをコンスタンチヌス1世がイスタンブールに運んだもの。青銅はペルシア軍の盾を溶かしたものだといわれているようです。先端部分には黄金の玉が飾られていたのですが、今は考古学博物館にあるそうです。
奥に見えるのがテオドシウスのオベリスク。エジプトのトトメス3世が紀元前15世紀にアメン神殿に建てたものを、390年に皇帝テオドシウス1世がコンスタンチノープルの運んだものといわれています。本来60mのオベリスクですか、運搬中に破損して、上部20mだけをここにすえられたんですって。残りはどこにあるんだろう。。。スルタンアフメット・ジャミィ。通称ブルーモスクです。ミナレット(尖塔)の本数や高さは建立するスルタン(王)にとって権力の象徴だった。ブルーモスクは6本のミナレットがあるけれど、アフメット1世が「黄金の(アルトゥン)」と言ったのを「6本の(アルトゥ)」に聞き違えたからとも、黄金では費用がかかるので機転をきかせたとも言われています。この画像には6本の尖塔がちゃんと写っております。モスクにはメッカの方向を指し示すミフラーブというものがあります。左画像の真ん中の壁にあるのですがわかりますかね?絨毯にもミフラーブの絵が書かれていて、メッカの方向がわかるようになってます。ここはモスク内のミフラーブから一番遠い一角にある、女性専用の祈りの場です。隅っこにおいやられちゃってます。アヤソフィア
ビザンチン時代にキリスト教会堂として建てられて、オスマン・トルコ時代にモスクとなった大聖堂。入場させてもらえなかったので外観だけ。
その後はグランド・バザールへ。日本語で「目の保養~。」だの「日本人ケチッ。私ケチ好き。」だの呼び込みしてきます。一番笑ったのが「貧乏プライスッ!」っていう呼び込み(笑) これは大爆笑しちゃいました。あと、お店の人がやたら触ってきたり、値切ったらほっぺにキスしてくれたらとか言ってきてねぇ。トルコの男性はちょっとエッチかしら?なんて思いました。その後はホテルへ。
本日のホテルはコンラッド・イスタンブール。コンラッドの熊のぬいぐるみを姪っ子ちゃんに買ってあげようとおもったら、時間が遅くて事務所の人間が帰ってしまったのでわからないと。明日朝来るからと。しかし、私が帰国で明朝は早い出発なので買えなかった・・・。ん~ほしかったなぁ。未だに未練が・・・。
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2006年9月 トルコ旅行 6日目 イスタンブール①
http://pocoli.exblog.jp/5444619/
2007-04-18T19:45:00+09:00
2007-04-21T01:14:48+09:00
2007-04-18T19:45:23+09:00
pocoli
旅のおもひで
アンカラエクスプレスに乗って、イスタンブールに着きました。1等寝台ではありましたが、やはり2人だと窮屈だ。窮屈な中、少しでも快適にすごそうと荷物の整理に没頭してしまい画像を撮ることすら忘れてしまった。小さな洗面はついてましたので顔は洗えるけど体が洗えないんですよね。この対策に汗拭きシートやシーブリーズを持って行っておりました。イスタンブールで最初の観光はトプカプ宮殿。皇帝の門から入場です。
まず宝物館へ。ここは写真撮影は禁止。86カラットのダイヤの周りに49個のダイヤをあしらった「スプーン職人のダイヤモンド」(漁師が拾った原石をスプーン職人がスプーン3本と交換したと伝えられているから)、ダイヤ・エメラルド・エナメルの細密画・仕込時計などで飾られた「トプカプの短剣」なんぞを見てまいりました。
そして、次に向かったのはハレム!
皇帝の広間→
流石広々してました。
スルタンのお風呂場は大理石で出来ていて更衣室やマッサージ室なんかもあってキレイ。←果実の間
息子の部屋→
スルタンの座がおびやかされないように、兄弟や息子達を幽閉していた部屋。寵姫たちの中庭
ハレムの寵姫たちが外の空気を浴びることのできたテラス。奥の建物は寵姫たちの部屋でした。中庭からみえるプール
ここでハレムの女性達は水浴びしてたんだな。
トプカプ宮殿の次に訪れたのは軍事博物館。
有名なトルコの軍楽隊の演奏を見て聴いてまいりました。ホールでトルコの歴史映像をみて(言葉が全然わかりません)、終わるとトルコ軍の有名な曲が聴こえてきます。録音かな?と思っていると、正面の壁ががぁーーーーっと開きまして、外から軍楽隊や行進してくるんですよ。これは驚いたわ。その後は本日のホテルはコンラッド・イスタンブール。]]>
2006年9月 トルコ旅行 5日目 カッパドキア
http://pocoli.exblog.jp/5444579/
2007-04-17T19:38:00+09:00
2007-04-19T02:38:23+09:00
2007-04-18T19:38:29+09:00
pocoli
旅のおもひで
5日目はカッパドキアへ。コンヤからバスで休憩含めて約3時間ほど。
このキノコのような奇岩郡は度重なる火山の噴火で出来た大地が、何万年もかかって侵食されたもの。地層の硬度が違うため、上部の硬い地層部分が帽子の様に残ってしまっているん
です。
場所によって奇岩の種類も違っていていろんな形の奇岩郡がみれました。
今回の旅で一番感動したなぁ。日本では見られない光景だし、なんだか他の惑星に来たようなそんな感覚でした。現にスターウォーズはカッパドキアで撮影されたとか。
ここ→はウチヒサ-ルだったかな?展望台からの眺めですが、ここの展望台でトルコアイスを食べましたわ。のび~るアイスでなんかどっしり重い感じのアイスです。アイスをびにょ~~って伸ばしてくれたらありがたかったのだが。。。
そうそう、他の場所でヨーグルトを食べたんだけど、それもなんだかクリーム状で重い感じだったけどおいしかったなぁ。松のハチミツがかかってるんです。きっと4日目パムッカレに行く途中で食べたわね。ちなみにトルコは羊が中心ですので、ヨーグルトも羊のものでしたよ。
その後はギョレメの谷へ。
ここで、この岩の内部を登れる場所がありましてね、私もチャレンジしかけたのですが、なにせ足場は岩を削った穴だけなんですよ。
上に垂直に昇っていくわけで、その足場も次の一歩までの高さがすごい。足短いから大変・・・。で、一歩目で太ももに妙な痛みが走りまして、あえなく断念。こんなところで肉離れにでもなったら大変ですわ。そして、次はカイマクル地下都市へ。キリスト教徒がアラブ人からの圧迫から逃れるために作った地下都市。この画像はワイナリーですよ。バスタブのようになっていて、そこに葡萄をたくさんいれるわけです。壁の下には穴があいていて、そこからワインが流れ出てくるんです。台所もあるし、ここで何人もの人が生活していたわけです。換気口はあるにはありますが、やはり火を使えば煙たかったようですよ。
入り口に丸い石がみえますが、これは襲撃された際、丸い石を転がして入り口をふさぐためだとか。私1人でも転がせるのかな?観光を終えると、今度はアンカラの駅に向かいます。アンカラエクスプレスに乗ってイスタンブールまで行ってきます。寝台車、寝台車。]]>
2006年9月 トルコ旅行 4日目 パムッカレ、コンヤ
http://pocoli.exblog.jp/5441717/
2007-04-16T01:12:00+09:00
2007-04-18T18:46:55+09:00
2007-04-18T02:19:51+09:00
pocoli
旅のおもひで
4日目はまずヒエラポリスに。ペルガモン王エウエネス2世がBC190年頃、ローマ軍に加勢しシリアとの戦争に勝利。その武功により、ローマ皇帝からこの町が与えられたそうです。17年の大地震で崩壊し、その後数世紀をかけて復興し、当時は内陸部の都市としては類を見ない繁栄振りだったんですって。しかし、14世紀の大地震で壊滅的打撃を受けてしまい今に至るわけです。
やっぱり古代都市って地震などの災害で遺跡になってるのが多いわよね。
ヒエラポリスはほんのさわりの部分しか観光できる時間がなかったんです。劇場とかみたかったんだけどなぁ。まぁ、ダイジェスト版の旅なのでしょうがないっ。
ヒエラポリスのすぐそばに、この有名なパムッカレ・石灰棚がひろがっております。パムッカレは「綿の城」とうい意味。昔は水着を着て沐浴できたんだけど、今は中止です。裸足で歩いて入れる場所があって、すべるのに注意しながらいってきましたわ。最初は温かいお湯も、棚を降りて行くとどんどん冷たくなっていくんですよ。ずっとあったかいものだと思っておりました。
←足湯なんぞもできるところがありましてね。時間がないからあそこまでは行けませんでした。
パムッカレは離れた場所から全体を見たほうが圧巻ですよね。帰りのバスからパムッカレの全貌が見えた時は感動しましたわ。
次に向かったのはコンヤ。途中ランチを食べましたが5時間半の工程です。ほんと、トルコは広いし、移動時間ばっかりで観光があまりできない・・・・・。
コンヤではメヴラーナ博物館に。旋回舞踏で有名なメブラーナ教団の総本山だったところ。メヴラーナとは「我が師」という意味で創始者ジェラルディン・ルーミーのこと。我が師・・・・・・和菓子・・・。で、この建物内で一際大きいのがメヴラーナ(ルーミー)のお墓。とはいってもここの中に入っているのではなく、地下に埋められているんですって。お墓の上に置かれているのが帽子。階級が上の人ほど帽子が大きくて長くなるんだそうな。コックさんみたいだ。
こちらはマホメットのあごひげが納められているという小箱ですって。現地ガイドさん曰く、みんな信じてはいるけれど、確認した人がいないとか。恐れ多くて箱をあけることできないんでしょうね。
この→右端の人形が旋回舞踏をしているところです。右の掌を上に向け、左の掌は下に向けて回るんです。たしか、右の掌で宇宙エネルギーを受けて、左手からエネルギーを放出してみんなにまいてるとか言ってたっけ。
この日の観光はこれで終わり。ホテルはリクソス・コンヤ。☆☆☆☆☆です。なかなか素敵なホテルではありますが、ここは飲食物持ち込み禁止なんですよ。隣にショッピングモール(閉鎖しているお店が多かった)があって、そこに食料品が売っていまして、そこで買い物してうっかりそのままホテルに戻ると没収されちゃいます。チェックアウトの時に返してもらえるんだけどね。ホテル内を利用して欲しいんだわね。ホテルの経営が厳しいのでしょうか。しかし、みんなバッグの中にうまく隠して持ち込んでましたが。私もここで職場へのお土産買いましたわ。
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2006年9月 トルコ旅行 3日目 エフェソス(エフェス)遺跡都市
http://pocoli.exblog.jp/5429752/
2007-04-15T23:53:00+09:00
2007-04-16T02:26:11+09:00
2007-04-16T01:58:20+09:00
pocoli
旅のおもひで
ホテルの裏手にはエーゲ海がひろがっていて、朝食後にお散歩。が、やはり日中の強い陽射しのエーゲ海がいいわねぇぇ。なんか、寒そうだわ・・・。
本日はアイワルクからバスでペルガモン→イズミールを通ってセルチュクのエフェソス遺跡都市へ。アイワルクを出るとすぐに、塩田や金の採掘場がありました。トルコやエジプトって金のイメージがとってもあります。何かお安く買えたらいいなぁ~~と期待を膨らませてエフェソスへ。
エフェソスは紀元前33年、エジプトのクレオパトラがローマのアントニウスを助けるために、200艘の船と共に上陸して滞在したと伝えられています。また、キリストの死後、聖母マリアが使徒ヨハネと余生を過ごした地とも伝えられています。
大きい建物が残っていて、大都市で大勢の人でにぎわっていたであろうことがわかります。
重要な建物をご紹介。
ハドリアヌス神殿。138年頃完成。裕福な市民が皇帝ハドリアヌスに献上した神殿。手前のアーチ上部には女神ティケの像、奥にはメデューサの像が彫られているんです。
セルスス図書館。統治者だったセルススを偲んで、息子ティベリウスが建立したんだそうです。1万冊の蔵書があり、アレキサンドリアの図書館と肩を並べていたとか。アレキサンドリアの図書館もこういう建物だったんでしょうね。セルスス図書館も263年にゴート人の襲撃で焼失。アレキサンドリアも火災で焼失しているし、どちらも貴重な書物や建物が焼失してしまって残念。
今となってはセルスス図書館の入り口部分の見事な彫刻で、当時の姿を思い描くことしか出来ません。
大劇場。収容人員25,000人。今でもオペラなどに使用されているそうです。
観光後は今夜の宿泊地・パムッカレに向かいます。
サーマル コロッセアというホテルですが、屋外プールや屋内温水プール、ハマム有り。コテージ風でなかなか素敵です。プールサイドでベリーダンスショーがありまして、そのお姉さんの動きの見事なこと☆スタイルはいいし、衣装はセクシーだし。あぁ、着てみたい・・・などと、無謀なことを考えながら、1日が終わりました。
ヴァリウスの浴場。冷水浴、温水浴、熱水浴室、マッサージ室、脱衣場、トイレなどがあって、市民全員が利用できたそうです。
この隣にはオデオンという小劇場があり、今でも中に入ることができて観光客の人が座って一休みしてました。私も折角なので休憩している人がいなくなるのを見計らって記念撮影。
こちら公衆トイレ。仕切りはない。顔見知りがいたら世間話しながら用をたしていたんだわねぇ。これは道に描かれた娼館への案内図。足の向く方向娼館がの方向、十字は十字路、女性は娼婦、ハートは愛を意味してるんだとか。]]>
2006年9月 トルコ旅行 2日目 トロイ
http://pocoli.exblog.jp/5423529/
2007-04-14T23:43:00+09:00
2007-04-15T04:12:14+09:00
2007-04-15T03:43:12+09:00
pocoli
旅のおもひで
2日目はイスタンブールからバスでテキルダーまで行き、そこでフェリーに乗船してチャナッカレに行きます。フェリーでは早速チャイをいただきました。茶器が可愛いからこれは絶対にお土産に買って帰ろう!飲んでみると思った程苦くない。トルコの人に言わせると不味いちゃいなんでしょうが、私には丁度よい味です。
チャナッカレに着いてランチを。まず驚かされたのはデザートの甘さ。これ、小さいデザートが3種類なのですが、どれもシロップ漬け。最初の1つは美味しく感じたけれど、みんなシロップ漬けだから味に変化もなく、甘くて甘くて残しちゃいました。。。ランチ後はトロイへと向かいます。
ギリシャ神話で有名なトロイ。ドイツのシュリーマンが発見したけれど、どうもここは神話のトロイとは違う場所らしいですわね。年代の違う遺跡がいくつか重なっている状態で、シュリーマンは考古学者ではなかったため、発掘の際、他の年代の遺跡に傷をつけてしまってるんですよね。まぁ、何がなんだかわからない遺跡という印象。
トロイのも木馬が作られていて、記念に昇っちゃいました。まっ、なんていうこともないのですが・・・。ここに昇ってしまって時間がなくなり、このトロイの遺跡からハガキを出す時間がなくなってしまったことが悔やまれます・・・。ここから出すとスタンプがトロイの木馬になるんですって。旅先からはハガキを出すことにしている私なので、未だにそれが悔やまれます・・・。
次は本日の宿泊地アイワルク。グランド テミゼルというホテル。入り口の上にナザーレボンジューが埋め込まれてあるんです。さすがトルコっ!このホテルはベッドが小さかったなぁ。地下にハマムがあって、私はそちらを利用。女性のマッサージ師さんがいるので、オイルマッサージをしてもらったわ。垢すりはおじちゃまが担当なのでパス・・・。
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2006年9月 トルコ旅行 初日 移動だけ~
http://pocoli.exblog.jp/5423420/
2007-04-13T00:55:00+09:00
2007-04-16T02:28:02+09:00
2007-04-15T02:45:31+09:00
pocoli
旅のおもひで
2006年9月15日~22日までの8日間、トルコに行っておりました。最初は以前から行きたかったエジプトを予約したんだけど、気温を調べてたら最高気温40度とかだったため、へなちょこ根性なしの私は断念。気候が楽なところはと探してたら、トルコが最高気温25度と東京とあまりかわらない気温だったので決めましたの。
まずは初日。相変わらずの安ツアー参加なので、直行便ではなくて乗り継ぎでトルコまで。今回は成田→関西空港→ウズベキスタン→トルコ。ウズベキスタン航空には初めて乗ったんだけど、ミシミシと音がする飛行機で大変スリリングでした。何より驚いたのは着陸!急ブレーキで止まるんだわ。シートベルトしてなかったら前の椅子に叩きつけられちゃいますよ。よっぽど滑走路が短いのかしら???なんて思ったりました。
ウズベキスタンのタシケントに着いたのが現地時間の17:15。空港内は写真撮影禁止だからつまらない。海外は軍施設と一緒になっているところが多いから、空港内撮影禁止のところがけっこうありますわよねぇ。やることもなく乗り継ぎのチケットが用意されるのをただ待たされまして、乗り継ぎ飛行機のゲートに移動できた時にはお店も閉まっており、またまたただ座っているだけ・・・。疲れるわぁ~。ちなみに、ウズベキスタンと日本の時差は4時間です。トルコとは6時間ね。
ウズベキスタン・タシケント19:25発でトルコ・イスタンブール22:35着。やっぱり急ブレーキで着陸です。ここも滑走路短いのかい???
ホテルはエレシン トプカプ。空港からは割りと近かったのだけど、寝るのはかなり遅くなっちゃいましたよ。
←これがエレシン トプカプの外観です。外観はシェーンブルン宮殿のようなマリアテレジアイエローじゃございませんこと?
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最近のお気に入り
http://pocoli.exblog.jp/5417026/
2007-04-12T23:59:00+09:00
2007-04-15T04:12:48+09:00
2007-04-14T00:26:04+09:00
pocoli
雑貨・小物など
すっかりブログをおさぼりしている間に、転職したりしておりました。
さぼっていた私がハマっていたものというと、チャームでございます。いろんな種類のチャームを検索検索で探しまくりまして、購入してはブレスにジャラジャラつけてよろこんでおります。ブレスにつけて遊んでいるのは天使のチャームに限ってなのですが、それ以外にかわいいなぁと思って購入したチャームはテーマ別にゴソッと袋にしまわれているだけ・・・。明日もまた、購入したチャーム類が届きますわ。コレクション癖が全開でございます・・・。。。何か作品が作れるセンスと技術があればなぁ~~。
チャーム以外で気になるもの・・・それは赤いハート。これまたピューターチャームでみつけた、このチャームがきっかけなのです。ハートがやたら気になるようになって。特に赤がやっぱりいいんですよねぇ。赤も明るい赤より深みがある赤がいいんですよ。そういうハートのグッズがあると、ついつい見入ったり買っちゃったりしてます。ん~~、カラーセラピー的に何かあるのかしら???欲求不満とかだったらやだなぁ(汗) ]]>
受胎告知ってきた
http://pocoli.exblog.jp/5372421/
2007-03-22T02:06:00+09:00
2007-04-07T02:08:14+09:00
2007-04-07T02:08:14+09:00
pocoli
美術展など
3/20は初日なので混むだろう、3/21は休日だから混むだろ、3/22は意外と穴場?と思いこの日に設定。
ウフィッツィ美術館の『受胎告知』がよびものになってます。というか、これしかないと言っても過言ではないような・・・。
わりと早めの時間に行ったのだけど10分待ち。
暗い本館特別5室に「受胎告知」が1つだけ展示され、暖色のライトがあたっている。それを立ち止まらずに順番に見て行くという状態。別に前にかぶりつかなくてもいいので、私はとっとと前へと歩いて行き、2列目あたりから鑑賞。でも、あの展示だと最前列でかぶりついて見ても、上部の細かい天使の羽の描き込みとか見えないんじゃないかな?
わたしゃ暗いと視力が一段と低下するから困るのよぉ~。
その後、第2会場になる平成館特別展示室へ。ここはダ・ヴィンチの発明などを紹介してましたね。私には難しいし、混んでるから待つのが嫌でほぼ素通り。
「『受胎告知』が日本で見られるのはありがたい。しかし、この時期観光でウフィッツィ美術館に行った人は気の毒だなぁ。旅行を計画する時はこういうことも気をつけないと・・・。」などと的外れなことを考えながら帰宅。
あぁ、私にはもう感動する心がないらしぃ・・・。
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カクテルをば
http://pocoli.exblog.jp/5372407/
2007-03-21T02:00:00+09:00
2007-04-14T00:28:31+09:00
2007-04-07T02:05:45+09:00
pocoli
おでかけ
しかし、3月生まれのお友達と2人でお誕生日祝いを兼ねて飲みに行くという話しだったのに、すっかり誕生日ということを忘れて、お誕生日プレゼントも持っていかず・・・。お友達からは素敵なプレゼントいただいちゃいましたよ・・・。あぁぁぁ・・・・・ヤッチマッタ。。。失念しておりました・・・。お友達・・・待っててね。。。で、カクテルですが、初めて『ピカソ』なるカクテルを飲みました。
シャンパン+イチゴジュース=ピカソ
昨日はこれにイチゴリキュールも入ってました。
透明な赤いカクテルでなかなか素敵♡しかし、画像をメールに添付できない形式で写したために、携帯から送れず・・・。
私の携帯は古いものですから、メモリーカードに保存とかでもなく・・・(^_^;)
投稿している画像はチョコレートマティーニ。
これは内側にチョコレートが塗られているので、ペロペロとなめちゃったのだけど、お菓子用のチョコレートなのでなかなか溶けないのよね。もっとなめたかった・・・。
しかし、私のヘナチョコ携帯画像はやっぱり粗いしみずらいねぇ。また、デジカメ持ち歩かないとだなぁ。
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インド式エステのお試しに行ってまいりました
http://pocoli.exblog.jp/3975859/
2006-07-19T15:04:00+09:00
2006-07-19T15:57:17+09:00
2006-07-19T15:04:30+09:00
pocoli
おでかけ
まず最初にカウンセリング。といっても、自分で紙に書かれたいろいろな質問事項にチェックをいれたり、記入したり。それに、ここでは性格テストもさせられましたわ。これはエステでは初体験。アーユルヴェーダは体質的特徴、生理的特徴、気質的特徴を調べるんですね。それで、ヴァータ、ピッタ、カバのどの体質かを判断するようなんですが、結局私が何のタイプなのかは教えてもらってないですわ。自分で調べよ・・・。
その後、下着一枚になって体重と体脂肪の測定、そして採寸。お腹、太腿、二の腕を数箇所ずつ採寸です。が、なんか計り方が緩い。随分緩いなぁ~、これ施術後の採寸の時はピッチリきつめに計るんじゃないの???なんて思ったり。お腹の採寸の時などメジャーが背中の方で上にあがって斜めになってます。ん?と思いつつも注意はせず。施術後の採寸をみてみようと。それでお店の体質がわかるかなと。また、採寸は担当者の方がしてくれているので、自分は全然メジャーをみられない。家で事前に計ってくるべきだったーーーっ!
次にいよいよ施術です。インド式なのでアーユルヴェーダをもとに、アヴィヤンガとかいうマッサージをしてくれました。これ、リンパマッサージだわねぇ。セサミ・オイルで足の下から上へと老廃物を流すようにスリスリ、ゴシゴシ・・・。足の裏から首までの施術でした。
これは確かに効いてるかも。足の付け根とか腰の部分や腕の付け根が痛い、痛い。「セルライトのゴリゴリ感がわかりますか?」って言われたけど、私が施術をうけてゴリゴリ感じたのはやはり背中や肩の凝りの部分だけで脚、お腹、腕などのセルライトのゴリゴリはわからなかったなぁ。
余談ですが、アーユルヴェーダはゴマ油を使用すると聞いていたので、『ゴマ油の香ばしい香りでお腹すいたらどうしよう~~。自分自身が中華料理みたいになってたらどうしよう~~。』なんて、とぼけた事を考えておりましたが、そら、香りなんてないオイルでしたわ。あたりまえよねぇ。中華料理じゃないって言うのよね。あぁ~(/-\*) ハジュカチ…
そして、施術後は施術台の上でビニール、タオルなどにくるまって20分のサウナです。施術台が温かくなるものを使用していたので岩盤浴の効果があるんです。背中からポカポカポカポカ。私は汗っかきだから汗がダラダラでちゃいます。
20分後シャワーを浴びますが、セサミ・オイルがその後も体内に浸透して効果を発揮してくれるとかで石鹸で洗い流さないように言われましたので、首と手だけは石鹸を使用して他は水洗いだけ。
ふと、横向きで鏡でみるとお腹のポッコリが少しとれたような。うぉっ♪前を向いて・・・ん?なんか体が横に広がったような気が・・・、気のせいかなぁ???
また体重・体脂肪測定と採寸。体重は200gほど減り、体脂肪は1%くらい減ったらしい。採寸は、やはり施術前よりもピッチリ計られました。ん~ずるいぃぃいいい。下腹部は3.3cmのサイズダウンだって。服を着て・・・でも、スカートが緩くなった感覚がそんなになかった・・・。
その後はエステのセールスをうけておりました。チケット制で今はちょうどキャンペーン中なのでお値段がお安くなる!しかし、人数制限があるので今申し込まないとこのお値段での対応が無理という。。。苦手なんです、こういう販売方法。行かなきゃっていう使命感があってチケット制も苦手だし、今すぐ買わないと高くなるよ~って言われると胡散臭く感じちゃって。だって、元値が高すぎで、キャンペーン価格の方が適正価格に思われるし。。。正価90分27,000円でキャンペーン中だと14,850円に。そしてチケットは5回分からと・・・。とにかくマイペースで通いたいので、その日の購入はお断り。
翌日の朝、なんとなくお腹周りがすっきりしているような気がするような。オイルのおかげでお肌はつるつる。ん、リンパマッサージを1回ずつ、マッサージ屋さんで通うようにしてみるかな。それかチケット制じゃないアーユルヴェーダを探しますかね。]]>
意外だったパーソナルカラー
http://pocoli.exblog.jp/3925234/
2006-07-11T10:52:47+09:00
2006-07-11T10:52:47+09:00
2006-07-11T10:52:47+09:00
pocoli
おでかけ
ここ最近は何もかもが面倒で、前にも増して部屋はちらかりっぱなしだし、身なりのことにもとんと気を使わなくなってきてしまったので、ここらでちょっと意識的に自分を改善せねば危険だと感じ、『すとっぷ・ざ・ぐぅ~たら!』という自分へのキャンペーンをちょっと計画。その一環としてパーソナルカラーをば受けてまいりました。数年前から興味があったのだけど、やっと実行できたわけです。年々太って服もサイズが合わなくなってきて、洋服を買わなければならないので、その参考にもなればと。
パーソナルカラーは春・夏・秋・冬の4種類に区分されるそうです。自分の肌がどれに属するのかを調べるってことですね。自然光の元で色を見たほうがいいというので、なるべくお昼頃がいいようですよ。
まず、左右の腕の内側に3色ずつファンデーションが塗られました。計6色。それで私の肌の色みをみているようです。
ファンデーションを乾かしている間に自分の色の好みやクローゼットにある服の色、人に色などでどういわれるか等の質問をうけます。
次に数種類の色をみせられて、好みの色を応えます。私はすべて見事に『夏』の色を選んじゃいました。淡いパステルカラーばかり。夏だから涼しげな色がよかったのかもなぁ。秋・冬だったらくすんだ色を選んだかも。。。
その後は鏡の前で上半身に赤の布(紙)をあてていきます。この赤も鮮やかな赤、くすんだ赤というふうに4種類あります。他に、黄色、緑、ピンク、オレンジ、青、紫なども4種類ずつ用意されていまして、これをあてることで、顔の色の変化をみてるんです。
びっくりしたことに、私は一番敬遠していた原色系の鮮やかな色が一番色も白く、顔もひきしまってみえるんですよ。なんか、顔の筋肉が上がったように見える!他の色だと、肌の色がくすんだり、青くみえたり。白にしても、青みがかった白よりもオフホワイトの方が顔に赤みがさすんです。もっと黄が多くなって淡いクリームになると更に顔が赤く見えたり。不思議でした。パーソナルカラーは私は『春』とのこと。
その後は気質を調べます。気質にも春・夏・秋・冬とわけられるんですって。簡単な質問が書かれた紙に該当するものにチェックを入れます。私の気質は『夏』でした。だから夏の色ばっかり選んだのかもしれませんね。
その後、私にあった色のメイクもほどこしてくださいました。私が今までつかっていた口紅はまったく逆の色だって。「ふけて見えてましたよ。損してましたねー。」って。自分にはつけられないと思っていたベージュ形の口紅が使えることも知り、良かったですわ。
その後アドバイスを頂くと、ターコイズやガーベラレッドなど綺麗な色を着るようにとのこと。黒はやめてくださいって。思わず「え゙っ!」て横に置いてあるバッグをみちゃいました。思いっきり黒です。だいたい、その日のいでたちはトップスは黒のカットソーにオフホワイトのキュロット。黒のバッグ、ベルト、ミュールだったんですよ。オフホワイトのキュロットはOKだけど、他はNGだったわけで(汗) 黒みの多い色はだめらしい・・・。この間買った服も黒なのにな・・・(涙)
約3時間の診断を受け、その足でデパートへ。自分にあった色の口紅とアイシャドーを購入しましたわよ。出費だわ~~。持っていたファンデーションの色はOKだったのでセーフ(ホッ)
まぁ、色が褪せるかサイズがあわなくなるまでは自分の色じゃない手持ちの服も着続けますが、購入するのはカラーファン持参してでも自分をイキイキとみせてくれる色にいたしますです。]]>
「ルオーとローランサン展」へ
http://pocoli.exblog.jp/3899122/
2006-07-01T17:23:00+09:00
2006-07-19T16:03:55+09:00
2006-07-07T17:25:10+09:00
pocoli
美術展など
松下電工汐留ミュージアムで開催されているルオーとローランサン展に行ってまいりました。今年はマリー・ローランサンの没後50年ということで、それでこの展覧会の企画があったよです。
マリー・ローランサンの絵を、ローランサンの人生と照らし合わせて見てみたいと思っていたので、ちょうど良かったんです。昨年7/26に「絵のなかのふたり」にも書いたのですが、ブリジストン美術館でローランサンの絵を見て、そこに書かれていた説明を読んで、ローランサンの生涯にものすごく興味を持ったのです。
男鹿・表紙1924マリー・ローランサン(1883-1956)の生涯をちょっとご紹介。
1883年に母・ポリーヌは未婚でマリーを出産。父はソム県ペロンヌの代議士だが認知されていない。1904年、画塾アカデミー・アンベールに入り本格的に絵画の勉強をし、そこでジョルジュ・ブラックと出会う。1906年、ブラックの紹介でモンマルトルの集合アトリエ「洗濯船」の常連となり「洗濯船のミューズ(女神)」と言われるようになり、男性たちをとりこにする。ピカソやマチス、ルソー、マックス・ヤコブらと出会う。最初の恋人、小説家アンリー・ホエール・ロシェはマリーの絵を画商に売り込み、うれなければ自分が購入していた。1907年、ピカソの紹介で詩人ギョーム・アポリネールと恋に落ちる。アポリエールはマリーに詩的霊感を与え、また多くの人を紹介し画壇のプリンセスへと押し上げていった。アポリネールは自身は浮気をくりかえすものの、マリーの自由は認めず束縛し、2人の間に亀裂が生じる。アポリネールがルーブル美術館で起きた「モナ・リザ」盗難事件の共犯容疑で逮捕される。疑いは晴れたが、その後アポリネールがますますマリーを束縛し1912年にアポリネールと別れる。1913年、母・ポリーヌ死去。アポリネールとの亀裂、母の死と孤独にさいなまれている中、ドイツ名門貴族で画家のオットー・クリスティアン・フォン・ヴェッチェンと出会う。1914年、ヴェッチェンと結婚したが、第一次世界大戦勃発。スペインへ亡命。その後5年間はスペイン政府にスパイ容疑をかけられ監視下におかれながらの亡命生活。夫はは粗野で数多くの愛人をつくり家を空けることが多い。結婚生活は実質三ヶ月ほど。マリーは次第に神経が衰弱していく。ピカソが相手かまわず「スペインに行ってから才能が衰えた」と吹聴しているというのを耳にし、マリーは一層傷つく。パリに住む人気デザイナー・ポール・ポワレの妹・ニコル・グレーが失意の慰めであった。この交流がマリーに同性愛を目覚めさせた。ニコルがパリに戻ると前より増して孤独感にさいなまれ、寂しさを紛らわせる為に愛人達とつかの間の恋をする。かつての恋人、フランス将校として戦地にいるアポリネールのことも頭からはなれずにいた。そんな中、アポリネールの結婚を知り、衝撃を受ける。アポリネールは生涯独身であると勝手に思い込んでいたのである。そして、アポリネールが戦地で負傷し危篤の知らせ。酒に溺れ働かず財産を食い潰す夫、マリーは絵を売って生活費にあてるが、経済的に行き詰っていく。ニコルも戦争から夫が戻ると子供をもうけ、マリーを拒むようになる。パリに戻りたいという想いが高まり、1921年フランス永住許可を得てパリへ。個展を成功させ再び画壇に返り咲く。1922年ヴェッチェンと離婚。1923年に肖像画を描き始める。作品も憂いがなくなり華やかさを増し、マリーに肖像画をかいてもらうことが社交界での流行となる。ジャンコクトー台本の「牡鹿」舞台装置と衣装をも担当。また、画壇の中心として華やいだ時間が過ぎる。しかし、次第にマリーの絵も時代遅れとみなされる時がきて、忘れ去られるようになってくる。老いから女の魅力も失われてくる。家政婦でかつ愛人であった21歳年下のシュザンヌ・モローは嫉妬心からマリーを束縛。友人や他の愛人をマリーから遠ざけさせた。捨てられることを恐れたマリーは言われるまま。1954年には彼女を養女にむかえる。そして、1956年、72歳の時に心臓発作で死去。寂しい最後であった。
ローランサンの人生と絵画を照らしあわせてみると、心のうちが少し見えてくる気がしました。
舞踏/1919
まさに亡命中の絵。グレイッシュで陰鬱な雰囲気が漂っていますよね。楽器を持っている中央の人物はまさにローランサンそのものとか。
精神的に不安定な時期の絵は、人物がのっぺりしていて、影が薄く存在感がないよな印象をうけました。
三美神/1921
パリに戻った頃でしょうか。多少華やかになってますね。
アルルキーヌ(女道化師)/1940
パリに戻って絶頂期でしょう。とても華やか。見ているこちらも心が華やかになってきます。人物も立体的で存在感があるように感じます。
【ジョルジュ・ルオー(1871-1958)】踊り子と白い犬/1920-29
女曲馬師・人形の顔/1925
小さな女曲馬師(流れる星のサーカスより)/1935
マドレーヌ/1956
【ジョルジュ・ルオー(1871-1958)略歴】
1871年 5月27日、パリ・コミューンの崩壊前日、砲撃の中生まれる。父アレクサンドルは家具職人。
1885年 父の勧めでステンドグラス職人のもとに徒弟奉公に出る。古いガラスの修復に従事しつつ、夜は装飾美術学校で素描を学ぶ。(~90年)
1890年 画家になる決心をし、国立美術学校に入学。エリー・ドローネの教室に入る。
1892年 ドローネの後任にギュスターヴ・モローが就任。キリスト教主題の作品をレンブラント風に描く。
1894年 「博士たちの間の幼きイエス」によりシュナヴァ-ル賞受賞。
1895年 ローマ賞に再度応募するが落選し、師モローの勧めに従い美術学校を退学。
1898年 モロー死去。
1903年 パリにモロー美術館が開館し、モローの遺言により初代館長に任命。この頃から道化師や娼婦を描き始める。
1904年 サロン・ドートンヌに作品を出品。観衆は一連の「黒い絵」を嘲笑。
1908年 「法廷」の連作、貧しい農夫、労働者の絵を描く。人間の内面にまで踏み込んだ表現主義的な描写を試みる。
1913年 ルオーの陶器に興味を抱いた画商ヴォラ-ルが、今後の全作品を購入するよう申し出る。
1917年 画商ヴォラ-ルと専属契約を結ぶ。『ミセレ-レ』、『悪の華』などの版画集を計画。
1918年 油彩画に専念。「キリストの受難」等宗教的主題が多くなり、色彩は鮮やかに、マティエールは豊かさを増し、表現はさらに凝縮されて重々しくなる。
1924年 ドリュエ画廊で大回顧展開催。
1929年 日本人実業家の福島繁太郎と最初に出会う。
1930年 版画集『流れる星のサーカス』、『受難』を制作。30年代は道化師、裁判官、聖書風景、キリスト像など大型の油彩を輝く透明なマティエールで描く。
1937年 パリ市プティ・パレ美術館で回顧展開催。
1941年 アメリカ各地で巡回展。以後青を基調とする厚塗りで芳酵なマティエールの小型の作品を描く。
1951年 黄色味を帯びたキリスト教的風景画が表れ、平和で神秘的な情景が多数描かれる。
1955年 ローマ法皇ピウスよりグレゴリオ大勲章を授与される。
1958年 2月13日死去。17日、サン・ジェルマン・デ・プレ教会で国葬。
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